ココ・テイラー&ボビー・“ブルー”・ブランド



ココ・テイラーが昨年の10月下旬に体調を崩し、
一時は集中治療室に入っていたというニュースを知った時はとても心配した。
でも、ココは順調に回復し、
今回のライヴで再び元気な姿を見せてくれる。
菊田さんをはじめファンの方々がどんなにこの日を待っていたことか・・・
ココがバックの「ブルース・マシーン」の演奏に合わせ、
「The One And Only,  Queen Of The Blues,  KOKO TAYLOR!」
と紹介されながらステージの袖から登場した時には、
客席から割れんばかりの拍手と大歓声が湧き起こった。

真っ赤なドレスがまぶしい。

私の席は後ろから7列目だったので、ココの姿が大きく見えるわけではない。
しかし、ココの気合は充分伝わってきた。
お腹の底からダイナミックな歌声があふれ出てくる。
きっと「女王」としてのプライドと自信が、
ココの肉体と精神をバックアップしていたにちがいない。
まわりのメンバー全員に一種独特の緊張感が走っている。
ココの体調を気遣っているのだ。

ココが歌の合間に観客席に向かって話しかけると、あちらこちから
「KOKO!」「Yes, KOKO !」「That's  Right KOKO!」という声援がこだまし、
みんなの心はココへの愛情で満ちているかのようだった。

菊田さんがソロを弾き、
ハリのあるギターの音色が会場一杯に響き渡った時は、
何とも言えない感動を味わった。
彼は祖国・日本を離れ、単身シカゴに来て道を切り開いてきた。
そして今、こうして三千人の大観衆を目の前に、
素晴らしいギター・プレーを聴かせてくれる。
誰もが異国の地でメジャーになれるわけではない。
そこにはたゆまない努力もあったはずだ。
私は心の中で、万感の想いを込めながら拍手を送った。

そのうち、ポツリポツリとカメラを持った人がステージに近寄ってシャッターを切る。
徐々にフラッシュの数も増えてきた。
誰もそのような大胆な行動を静止する人がいない。
ココの向かって右側でギターをかき鳴らす菊田さんの姿をもっと間近で見たいと思ったが、
左右に人がいて通路に出ることが出来ず、
やむなく自分の席からステージの様子をカメラに収めた。

途中、椅子が用意され、ココは座りながら歌い続ける。
ラストの曲は有名な「Wang Dang Doodle」
当時、プロデュースを手がけたウィリー・ディクソンがココに提供したものである。
チェスで吹き込んだ時のバック・ギタリストはバディ・ガイで、
1960年代におけるチェスの最大のヒット曲となった。

ココは渾身の力を込めてこの曲を歌い、
熱狂する観衆に見送られながら舞台の袖へと消えていく。

病み上がりのココにとって、30分のステージは相当ハードなものだっただろう。
今日のココのステージは、会場にいた全ての人々に希望と勇気を与えたに違いない。


次のステージはボビー“ブルー”ブランド。
彼がステージに登場した時は女性ファンの黄色い声が会場の至るところであがった。

ボビーの声は甘くソフトで落ち着いている。
懐の深さを感じる歌い方だ。
終始穏やかな物腰で、時々はにかんだような笑みを浮かべる。
地味な衣装だがきちんと着こなし、ホーン・セクションとの息もピッタリ合っていた。

74歳になってもボビーの人気は衰えておらず、
茶目っ気たっぷりな「ウゴォッ」というシャウトをすると、
会場が一斉にどよめいて誰もが笑顔で拍手を送る。

「That's The Way Love Is/恋とはそんなもの」が歌われた時は、
思わず私も嬉しくなって大きな声援を送ってしまった。
大好きな曲である。

「素敵な月曜日  心が沈む火曜日 
すごくハッピーな日があっても  次の日には涙にくれる
その場でつかみ取るか 何もなしに去ってゆくか
いつだって万事そんなもの  恋だってそんなもの・・・・・」
と言った具合に交互にハッピーとアンハッピーな日が訪れ、
1週間が終わっていくという内容の歌詞。
順風満帆な時もあれば泣きたいときもあるよ、
でもそれが恋なんだと諭す歌。

この歌に共感を覚える人も多いはずだ。
軽快なリズムにのせてボビーが歌うと、
まわりから一緒に口ずさむ声がたくさん聞こえてくる。

ボビーのステージは1時間ほどで終わり、
15分の休憩をはさんで、
B.B.キングのバック・バンドがステージにあがってきた。
時計を見ると10時。
いよいよB.B.キングの登場だ!

  
ココ・テイラー:KOKO TAYLOR
1935年9月28日テネシー州メンフィス生まれ。
本名、コラ・ウォルトン。
教会でゴスペルを歌っていたが、
メンフィスのラジオ局WDIAを聞いてブルースに傾倒していく。
1953年、夫と共にシカゴに移住。
そこでチェスのウィリー・ディクソンに見出され、
65年には「ワン・ダン・ドゥードゥル」が大ヒット。
74年アリゲーター・レーベルに移籍後も「ブルースの女王」として活躍。

ボビー・“ブルー”・ブランド:BOBBY "BLUE" BLAND
1930年1月27日テネシー州ローズマーク生まれ。
本名、ロバート・カルヴィン・ブランド。
ブランドは幼い頃から多様な音楽を聴いて育ち、
47年に家族と共にメンフィスに移住。
そこで教会のゴスペル・グループに属し、
週末はスピリチュアルなどを歌っていたが、その後ブルースに転向。
ビール・ストリートのブルース・シーンで活躍。
ブルースを歌うことによって内に秘めた情熱を表現しようとした。
「ウゴォッ」という通称「うがいシャウト」が彼のトレードマーク。
60曲以上がR&Bのチャートにのぼり、
2003年には「Blues At Midnight」をリリース。

<04・5・9>

Koko Taylor


椅子に座って歌うココ

Bobby Bland